都留市の概要
都留市は、山梨県の東部に位置し、大月市、上野原市、富士吉田市などと隣接しています。古くから城下町として栄え、山梨県東部地域の政治・経済・文化の中心として発展して来ました。江戸時代に教論所や興譲館などの教育機関が設けられるなど、教育文化を尊重する傾向があり、現在でも都留文科大学を中心に文化の発信地となっています。また、リニアモーターカー実験線の拠点基地があり、実用化に向けて試験走行が繰り返されています。
都留のあゆみ
この地には、約3万年前にナウマン象などの大型哺乳動物が棲息しており、人々は打製石器を用いた狩猟生活を営んでいました。久保地遺跡では、火山灰に埋もれた住居跡が発見されており、当時、富士山の火山活動が活発だったことがうかがえます。
大宝元年(701年)には大宝律令が施行され、地方制度として国・郡・郷が置かれ、甲斐国には山梨・八代・巨麻・都留の四郡が設置されました。国府は、今の御坂町国衛付近に置かれ、甲斐国の政治の中心地域として整備されました。そのころの都留郡には、相模・古郡・都留・福地・征茂・多良・賀美の7郷がありました。
平安末期には、北巨摩地方から甲府盆地一帯に渡って清和源氏が勢力を拡大し、中世以降、甲斐一円を支配する武田氏へと系譜を続けていきました。一方、都留では、小山田氏が中津森に居館を構えて、勢力をもちました。
江戸時代、都留は諸大名の支配する藩制下にありましたが、宝永2年(1705年)からは天領として代官所の支配下となり、郡内の中心として存在したことから、行政・文化・経済などのあらゆる面で栄えました。天和3年(1683年)には、江戸の大火で庵を焼かれた松尾芭蕉が、国家老の高山傳右衛門繁文に招かれ、谷村藩に約半年間滞在して名句を残しています。この時代の用水路・町並み・陣屋跡など、多くの歴史遺産が現在も残っています。
江戸から明治・昭和にかけて、都留の中でも特に、谷村町を中心に織物産業が発達し、明治38年(1905年)には、甲斐絹やその他織物技術の向上を図るため、現在の山梨県富士工業技術センターの前身である『山梨県工業試験場』が設置されました。昭和29年(1954年)には、谷村町・宝村・禾生村・盛里村・東桂村が合併し、都留市が誕生しました。近年、市域の約85%を占める山林地帯において、住宅や工業団地の開発が進んでおり、未来を見据えた「個性豊かな都留市」を目指しています。
都留の名前の由来
昔、富士の裾野が蔓の伸びた様子を連想させ、「連葛(つる)」や「豆留(つる)」などと書かれていました。また、音の「ツル」から鶴を連想し、長寿の里として万葉集にも詠われ、めでたい地名にちなんで「都留」と名付けました。
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| 都留の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
尾県郷土資料館 |
| 住所: |
〒402-0006
山梨県都留市小形山1565-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0554-45-0675 |
| 開館時間: |
10:00〜16:00 |
| 休館日: |
月・水・金曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、12月28日〜1月4日、および館内整理日 |
| 入館料: |
無料(50名以上の団体の場合は事前に連絡が必要) |
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